僕の影が勝手に動き始めたのは、彼女が姿を消した翌日のことだった。
朝のコーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、床に映った僕の影が新聞を読むのをやめて、窓の外を指差していた。僕は慌てて振り返ったが、そこには何もない。
「おかしいな」と呟きながら影を見ると、今度は影が首を振っている。
職場でも影は奇妙な行動を続けた。会議中、僕が資料に目を落としていると、影はずっと入り口のドアを見つめていた。同僚の田村が入ってくると、影は激しく手を振って何かを警告するような仕草をした。
「どうした?顔が青いぞ」田村が心配そうに声をかけた。
「いや、なんでもない」僕は慌てて答えたが、影は相変わらず田村を指差し続けている。
昼休み、一人でサンドイッチを食べていると、影が机の引き出しを開けるような動作をした。僕は影の指示に従って引き出しを開けると、そこには見覚えのない写真があった。彼女と田村が仲睦まじく写っている写真だった。
「まさか…」
夕方、僕は彼女のアパートを訪れた。管理人によると、彼女は昨日の夜、大きなスーツケースを持って出て行ったという。新しい恋人と一緒に、と付け加えた。
帰り道、街灯の下で僕の影を見ると、影は悲しそうに肩を落としていた。初めて影と同じ気持ちになった瞬間だった。
「君はずっと知っていたんだな」僕は影に話しかけた。
影は小さく頷いた。そして僕の手を取るような仕草をした。
「ありがとう」
その夜、僕は久しぶりに深く眠れた。影が見張っていてくれるような安心感があったからだ。
翌朝、鏡を見ると影はいつも通り僕と同じ動きをしていた。でも時々、影だけが先に動いて僕に何かを教えてくれる。今では彼女のことを忘れて、新しい恋を見つけろと言っているようだった。
街を歩いていると、カフェの窓際に座る女性に目が留まった。僕の影は興奮したように手を振っている。
「あの人がいいのか?」
影は力強く頷いた。僕は勇気を出してカフェの扉を開けた。影が僕の背中を押してくれているような気がした。
「すみません、隣の席空いてますか?」
彼女は微笑んで頷いた。僕の影は満足そうに僕と同じポーズを取っていた。
その日から僕の影は普通に戻った。でも時々、僕が迷った時には先に動いて道を示してくれる。影は僕の一番の理解者で、一番の味方なのかもしれない。
真実を知っているのは、いつも僕の足元にいる小さな相棒だけなのだ。