商店街の奥に、その店はあった。
「写真のヤマモト」という古びた看板。シャッターは半分だけ開いていて、中は薄暗い。デジタルカメラが当たり前になった今、フィルム写真の現像を受け付ける店なんて、この街ではここだけだった。
大学生の俺が初めてその店に入ったのは、祖父の遺品整理をしていたときだ。古いアルバムの中から、未現像のフィルムが三本出てきたのだ。
「いらっしゃい」
店の奥から出てきたのは、七十代くらいの老人だった。山本さん、というらしい。
「フィルムの現像、まだやってますか?」
「ああ、やってるよ。今時珍しいね」
俺は祖父のフィルムを渡した。山本さんは、それを手に取って光にかざし、何かを確かめるように目を細めた。
「これは……古いな。三十年以上前のフィルムだ」
「現像できますか?」
「やってみるよ。ただ、古すぎて何も写ってないかもしれない。期待はしないでくれ」
一週間後、俺は写真を受け取りに行った。
封筒を開けると、確かに写っていた。色褪せて、ところどころぼやけているが、確かに映像が残っている。
若い頃の祖父。見たこともない笑顔で、誰かと肩を組んでいる。場所は海辺のようだ。
「これ、誰でしょうね」俺は山本さんに尋ねた。
山本さんは写真をじっと見つめた。そして、小さく息を呑んだ。
「……俺だよ」
「え?」
「この写真の、お前のお祖父さんと一緒にいるのは、若い頃の俺だ」
俺は写真をもう一度見た。確かに、目の前の老人の面影がある。
「お祖父さんとは、昔、親友だったんだ」山本さんは遠くを見る目で言った。「高校を卒業して、一緒に東京に出た。二人とも写真が好きでな。いつか一緒に写真館を開こうって、夢を語り合ったもんだ」
「それで?」
「俺は故郷に戻ることにした。親父が病気でな。でも、あいつは東京に残ると言った。大企業に就職が決まっていたから」
山本さんは写真を優しく撫でた。
「これは、別れる前の日に撮ったんだ。『また会おうな』って、約束したんだけどな。結局、一度も会わなかった」
「なんで?」
「意地だよ。くだらない意地だ。手紙は何度も来たんだ。『遊びに来い』『元気でやってるか』って。でも、俺は返事を書かなかった。東京で成功してるあいつに、田舎で小さな写真屋をやってる俺の姿を見せたくなかった」
山本さんの目が、少し潤んでいるように見えた。
「バカだったな、俺は」
俺は残りの写真を見た。祭りの写真、山での写真、笑い合う二人の姿。どの写真も、本当に楽しそうだった。
「お祖父さん、三年前に亡くなったんです」俺は言った。
山本さんは黙って頷いた。
「知ってるよ。新聞で訃報を見た。葬式にも行かなかった。今更、顔も出せなくてな」
店の中に、静かな時間が流れた。
「でも、不思議だな」山本さんは言った。「あいつは、最後にこのフィルムを残していったんだ。現像されないまま、三十年も。まるで、俺に見つけてもらうのを待ってたみたいだ」
俺はハッとした。祖父の遺品の中から、わざわざこのフィルムを見つけて、わざわざこの店に持ってきた。それは偶然だったのか。
「山本さん」俺は言った。「このフィルム、最初からここに来るように、仕組まれてたんじゃないですかね」
「どういうことだ?」
「だって、この街で現像できるのは、ここだけでしょう。祖父は知ってたんですよ。いつか誰かがこのフィルムを見つけて、山本さんのところに持ってくるって」
山本さんは目を見開いた。
「あいつが……」
「ええ。これ、祖父から山本さんへの、最後のメッセージじゃないですか」
山本さんは写真を両手で持って、じっと見つめた。涙が一粒、写真の上に落ちた。
「ありがとう」山本さんは、写真に向かって小さく呟いた。「ありがとう、久男」
久男。それが祖父の名前だった。
その日、俺は写真を一枚だけ山本さんに渡した。二人が肩を組んで笑っている、あの写真を。
「これ、飾ってください」
山本さんは何度も頷いた。
それから一ヶ月後。俺が久しぶりに商店街を通ると、「写真のヤマモト」のシャッターが全開になっていた。店の奥には、額縁に入った写真が飾られている。若い二人が、海辺で笑い合っている写真が。
店の中からは、古いジャズが流れていた。
山本さんは、カウンターで新しいお客さんと笑いながら話をしていた。その表情は、あの写真の中の若者のように、輝いて見えた。
俺は店に入らず、そっとその場を離れた。
写真には、時を超える力がある。言葉にならない想いを伝える力がある。そして、失われた時間を取り戻す力がある。
三十年越しの再会は、こうして静かに果たされた。
