“よくある悩み”なんて、本当はどこにもない

終電の少し手前の時間に、ようやく今日一日分のメモを閉じて、椅子の背にもたれました。
窓の外はもう真っ暗で、マンションの明かりだけがぽつぽつと浮かんでいます。

「今日も、いろんな“言えないこと”を聞いたな」と思います。

仕事柄、人がふだん口にしない種類の本音を聞くことが多いです。
それは派手な秘密ばかりではなくて、「こんなことで悩む自分が情けない」と本人が感じている、ささやかなつまずきであることも少なくありません。

たとえば、今日の午後。
電話の向こうで、小さなため息がひとつ聞こえました。

「こんなことで相談してもいいのか分からないんですけど……」

そう前置きしてから、その人はぽつりぽつりと話し始めました。
内容だけを抜き出してしまえば、他人から見れば「よくある話」に分類されるのかもしれません。
仕事のこと、家族のこと、恋愛のこと。
どれもニュースになるような出来事ではないし、ドラマのような大事件でもない。

でも、その人が言葉を選びながら話す声には、はっきりと重さがありました。
「よくある悩み」と「自分にとっては苦しい現実」は、まったく別物なのだろうと思います。

私は、相づちを打ちながらメモを取りつつ、
「この人はどの瞬間に一番傷ついたんだろう」
「どの言葉が、今も胸の中でひっかかっているんだろう」
と、心の流れをなぞるように聞いていきます。

結論を急がないのは、私のささやかなこだわりです。
人は「正しさ」だけでは動けないと感じることが多いからです。
頭では分かっていることと、心が納得できることの間には、いつも少し距離があります。

話を聞いていると、ときどきその距離がふっと近づく瞬間があります。
相手が、自分で発した言葉に少し驚いて、
「あれ、私、本当はこう思っていたんですね」と、呟くように言うとき。

私はその瞬間が、けっこう好きです。

誰かに「理解してもらった」と感じることよりも前に、
「あ、自分の気持ちを自分で少し分かったかもしれない」と気づくこと。
そこに、静かな救いのようなものがある気がするからです。

電話を切った後、メモを見直しながら、
「もしこの話を作品にするとしたら、どこを残して、どこをそっと隠そうか」
そんなことを考える時間があります。

もちろん、そのままでは書きません。
誰にも分からないように、年齢も職業も、状況も、いくつもの要素を入れ替えてしまう。
けれど、心の動きだけは、できるだけそのままにしておきたい、と思います。

人が悩むときの感情の形は、不思議と似ているところがあります。
「自分だけがおかしいのではないか」と感じている人の心の中にも、
「そう感じるのは自然なことですよ」と伝えたくなる部分がたくさんある。

だから私は、秘密を守りながら、その心の揺れをそっと書き留めておきます。
いつかどこかで、まったく別の誰かがその文章を読んだときに、
「自分だけじゃなかったんだ」と、ほんの少しでも肩の力を抜いてくれたらいいなと思うからです。

私自身にも、人に話していないことはいくつもあります。
カウンセラーに近い仕事をしていても、作家として文章を書いていても、
「すべてを言葉にしなくていい部分」が、人には必ず残るのだろうと思っています。

だからこそ、誰かが勇気を出して話してくれたことに対して、
「そんなことくらいで」とは、どうしても言えません。
その人にとっては、それが人生の中のとても大事な一ページかもしれないからです。

今日話してくれたあの人も、明日にはまたいつもの日常に戻っていくのだと思います。
隣の席の同僚は、その人が夜に涙ぐんでいたことを知らないでしょう。
パートナーも、家族も、友人も、知らないままかもしれません。

でも、この世界のどこかで、「そのときの心の動き」を覚えている人間がひとりだけいる。
私は、その役割を引き受けているのかもしれません。

秘密を守るというのは、
単に「口が堅い」という以上に、
「その人の心の歴史の一部を、そっと預かること」なのだろうと、ときどき思います。

明日もまた、誰かの「言えない話」を聞くのでしょう。
そのたびに私の中には、小さな物語の種が増えていきます。

いつかそれらが、誰かの心に届く物語やエッセイになって、
「少しだけ生きやすくなりました」と言ってくれる人がいるのなら――
私が“秘密守”という名前を名乗っている意味も、
少しはあるのかもしれません。

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